ジェイムズはに、自分が経験した三つの「神秘的瞥見」に触れ、こう述べています。
この似たような三つの事例のどれにおいても、瞥見の体験が全く普通の状況の中で突然起こり、二分足らず続いた。
このうちの一つはある人物と話をしている時に起こったが、相手が私の荘然自失に気づいたかどうか疑わしい。
そのつどに起こったのは、私がただちに過去の経験を想起させられたようだったということであり、この想起は、私が明瞭にそれを概念として捉えたり、それに名をつけたりすることができる前に、それと同系の何かそれ以上のものへと発展し、その何かがさらにまたそれ以上の何かに変わり・・・といった具合に連鎮的につらなり、最後にはこの過程がぼやけて消え、私は、自分では明確に記述することのできない、しだいに範囲を拡大してゆく遥かな事実を突然のヴィジョンとして眺めている自分に度胆を抜かれた。
この形態の意識は知覚的なもので、概念的なものではなく、全体の場があまりに速く拡大してゆくので、概念や同一化がその仕事を始める時間のゆとりが全くないように思われた。
過去の(あるいは現在の?)現実に関する私の知識が一鼓動ごとに拡大しているという強く興奮させる感覚があったが、その拡大があまりにも迅速だったので、私の知的過程はそれに追いついてゆくことができないほどだった。
こうしてその内容は全く失われて追想できないものとなった。
つまり、私たちが徐々に目覚めるときに夢が消え去ってゆく辺土の中へとそれは沈み落ちていったのです。